Murakami Ken - Photographer

この回で、朝日新聞紙面での連載は最終回となりました。
この連載で初めて写真に文章をつけるという作業を行いました。
少し、写真に血が通った様な気がしました。

月明かりで輪郭づけられた揺らぐ波に目を奪われていると、いつの間にか海は凪に変わりました。2012年11月、雲ひとつ無い秋晴れの日に生まれた娘に、平穏な人生を送ってほしいとの思いを込め、私は凪と名付けました。

しかし、幼い娘にも、病や困難は降りかかりました。何も出来ない私をよそに、娘は自らの力でそれを乗り越えていきました。
そこから見えたのは、娘の生き延びるために見せる強さと、無力さを嘆くしかできない私の弱さでした。

親となり5年が過ぎ、今思うのは、強くあり続けてほしいということ、強くありたいということです。

次第に東の空は白み始め、呼応するかのようにゆっくりと海は動きだしました。新しい1日が始まろうとしています。

朝日新聞デジタル

渋谷駅前の喧騒をぬけ、たどり着いたのは、眼前 に代々木公園が見える公園通りの突端でした。 ほぼシルエットに近い人々が、思い思いに交錯しては離れていきました。 季節がお盆にさしかかる頃です。

小学生の頃、夏休みの大半を京都にある母方の祖母の家で過ごしました。今は亡き祖母と鉄道に架かる陸橋から眺めたのは、五山送り火。手を合わせ、目を閉じた祖母。にじみでた涙には、祖母の人生の一片が映りこんでいました。
火の勢いも次第に衰え、来た道を祖母と引き返します。足元をけたたましく走り去る貨物列車の轟音が、胸に響いた事を思い出します。

完全にシルエットになった人々に紛れるよう、私は歩き出しました。
視線の先に、赤々と燃える夕日が沈んでいきました。

朝日新聞デジタル

首都高速3号線の高架と、道路沿いの建物に密閉された様な国道246号。通称、玉川通り。
田園都市線沿線で育った私は父の車の助手席に乗り、幾度となくこの道を通りました。

いま私の車の助手席には息子が乗り、流れ行く車窓と、私の運転にまつわる動作を見つめます。 信号待ちで、いつのまにか眠りについた息子に目をやると、窓のむこうの建物の隙間から光が見えました。
車を寄せ、写した夕暮れ。
オレンジ色の空に、過去が走馬灯のようにながれ、未来がおぼろげに輪郭を現すと、少し救われたような気がしました。

なぜなら、私は父と息子をつなぐ、つなぎめのような存在なのかもしれないと思えたからです。
一つ、私がここにいる意味が見いだせた気がしました。

朝日新聞デジタル

7月の毎週水曜日、朝日新聞 夕刊にて「レンズの向こう」という連載を担当させて頂きます。

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レンズの向こう -光の記憶- 1
 
私が写真を撮る作業の中で魅力を感じるのは、光を探すという作業です。
照明機材を用いて、光を作ることも可能ですが、それによって撮られた写真の出来不出来は、撮影する一人一人の、作品のできあがりに対する想像力に委ねられる面が大きいと思います。
 
私は自分自身の想像力の無さ故に、作るという作業は諦め、探すということに専心します。
自然光、人工光、それぞれが混じりあう、無限にも思えるような光の組み合わせに、写真を撮ることを促されている気がします。

 この雨は次第に雪に変わりました。
翌朝、東京は雪で埋め尽くされ、それに反射した日の光に眩んだ私の目には、
この世界が光に溢れた場所のように見えました。

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